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ー盛岡に来るきっかけは何だったんですか?
川上:23歳位の時に友達に誘われて北上の工場で働きに出ました。ある日、友達の車の助手席に乗っていたら、スピードの出しすぎで思いっきり電柱に突っ込んでしまうんです。命は助かったものの2人とも重傷で、僕は股関節が外れて、7割の確率で「もう歩けなくなる」と言われました。入院した時にたくさん時間があってはじめて自分とじっくり向き合う時間ができました。「このままじゃダメだ。育った環境や学歴など関係なく、色んな人が輝ける場所をつくりたい。人の役に立てる居場所をつくりたい。」と漠然と考えていました。思い出すのは、自分の事を大切にしてくれた総合建設の社長や板金のオヤジの事でした。
そして、リハビリをがんばって、無事歩けるようになりました!その後は工場も性に合わなかったため、友達がいる盛岡に来ました。当時は仕事も安定しなくて、ガスと電気は止まっていましたね(苦笑)。そんな時に今の妻(現:専務取締役)に出会います。妻は市内の会社で事務員をしていて、どこにでもいる普通のカップルでした。
ーそれがどう起業につながるんですか?
川上:26歳の時、車がだめになりそうで、欲しいんだけど、お金がない。と困っていました。そしたら、彼女がいくらか貯金があって「60万なら貸すよ」と言ってくれました。(※当時の借金は完済しています)そこで「そのお金で商売やりたい!」とピン!ときてしまったんです。今、考えると60万で商売って完全に甘く見てますよね。
彼女は僕が転職ばかりを繰り返していたので、良いのか悪いのか僕の仕事に対する信用がなかったんでしょう(苦笑)。「商売なんて甘いもんじゃない。どうせ一カ月くらいで辞めるだろうからやるだけやれば。」と言われました。それが創業のきっかけです。彼女は個人事業の美容師の娘で商売の大変さもわかっている、けれど、僕の性格もわかっていてそう言ってくれました。
そこからは、まずは作業車ということで、前述の総合建設業の会社の社長に安く譲ってもらおうと思って電話したら、「商売やるなら持ってけ!」とトラックを譲ってくれました。
ーその時は、屋根板金で独立しようと考えなかったんですか?
川上:本当は屋根板金をやりたかったんですけど、トタン加工などの機械を揃えると初期投資が掛かります。前職の屋根屋の時に塗装もやっていたので、トラックと脚立があればできる塗装屋をやろうと思いました。自分の中で「板金屋ができて塗装屋ができない訳がない!」という根拠がない自信がありました。今思うと、完全に塗装業を甘く見てましたね(苦笑)。
ー仕事はどうやって受注していたんですか?
川上:妻にチラシを作ってもらって自分で配ったり、友達に手伝ってもらったり、色んな人に支えてもらっていましたね。初めて受注できた時は本当に嬉しかった!お客様に喜んでいただきたくて、1軒ごとに心を込めて一生懸命に施工しました。
ーそれは嬉しいでしょうね!でも、周囲からの反対はなかったんですか?だいたい「やめたら?」って止める人が多いですよね。
川上:不思議と誰も止めませんでした。僕の性格上、止めても無駄なのがわかっていたんでしょうね(笑)
ー社員さんは?最初は一人で起業したんですか?
川上:起業した最初は一人で仕事をしていましたが、1年くらい経った時、現在の営業部長ともう一人の3人体制で仕事をするようになりました。
ー社員さんが増えたっていう事は、順調に仕事が増えていったんですね?
川上:自社の仕事もそんなにあるわけじゃないのに雇用をしたので、仕事が無いんです。でも仕事が無いからと言って休ませるわけにはいかないので、下請けの仕事をさせてもらうために色々な会社を周りました。
ー大変なことはありましたか?
川上:いやいやそれが、大変な事になるんです…
今となると本当に怖いと思いますが、仕事の量が増え、人が足りなくなって場当たり的に雇用を増やしていきました。自社職人が7人、その他にも応援に来てもらって毎日10人以上で一生懸命働いていました。しかし、決算書を見てみるとまったく利益がでていなかったんです…しばらくの間どうにもできませんでした。自転車操業に陥っていた自覚がまったく無かったのです。
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